立谷沢川の上流付近、山の斜面はまだまだ残雪が残っていますが、ブナを先頭に、山の緑は少しずつひろがってきました。
うすくピンクの花が見えます。
これはオオヤマザクラ。ブナもそうですが高さ10mをこえる高木の方が、地面の雪の影響は少ないのかも知れません。
残雪の残る谷に入ると、ヒンヤリとした冷気がたまっているのがわかります。
もう5年以上前の事ですが、私は海野さんの東北取材についていき、太平洋岸のあるトンボの生息地を訪れたことがありました。汽水域にすむヒヌマイトトンボです。うっかりしたことに、震災直後は、そのあたり一帯が津波にのまれただろう事に全然考えがおよばず、やっと最近になって繋がりました。困ったことに、それ以来、気持ちが落ち着かなくて仕方がありません。
被災地に行くのはボランティア活動でだけと決めていましたが、現地の様子を自分の目で確かめに行くことにしました。そう思い立つのに、不思議なくらい迷う気持ちがありません。早朝の、まだ復興作業がはじまる前の短い時間に、さっと見てくるだけで十分でした。
そこは、海野さんが前の年に見つけられた場所でした。だいたいの場所を教えてもらい、自分の記憶と合わせて現地入り。変わり果てた光景に心もうばわれながらも、Google Mapでここじゃないかと当たりをつけていた場所に向かいます。何とも不思議な事ですが、現場に立った瞬間、ここに違いないとすぐに思うことができました。
29日。海野さんより、2004年7月撮影のヒヌマイトトンボの生息地の写真を送っていただきました。ブログに使ってくれとのありがたいお言葉。。。本当にありがとうございます!
川幅といい土手の雰囲気も間違いなさそうです。ただ、改めてかつての光景を見ると、遠方の家も電柱も木々も流されてしまったとは信じられず、今の風景とはなかなか重なりません。
確信を持つのは難しいと思っていたら、横で見ていた妻が、Google Earthのストリートビューから海野さんの画像に写っている住宅を発見してくれました。これで間違いなくその場に立っていたことを確信しました。
さて、再び現地の現在の様子。
なんと驚いたことに、川岸のアシは新しい芽を伸ばしていました。津波の影響がないわけではないのでしょうが、信じられないくらい普通に見えます。
かつて7月に訪れたときは、背丈よりも高くなったこのアシをかきわけ、ヒヌマイトトンボを探しました。まさかとは思いますが、今年も同じように高いアシ原がひろがった光景が見られるようになるのでしょうか。
肝心のヒヌマイトトンボの幼虫は、今どうしているでしょう。どうやら人の作った建造物よりしっかり地面に根づいているアシです。この根などにしがみついているすれば、ひょっとして生き続けていないだろうかと期待してしまいました。
津波は100%塩水ですし、それだけでも生きていられないと思いますが、わざわざ汽水域を好むあたり、私の想像などまるで及ばない強さを持っているかも知れません。
付近にはベンケイガニでしょうか、地中に穴を掘って活動しているものの存在もはっきりわかりました。
テレビや新聞・雑誌である程度被災地の様子は想像できました。確かに、眼前にひろがっていたのは、伝えられている通りの大変な状況でした。しかし、被災範囲の広大さ、そして波が達した高さのようなスケール感は、やはり実際に同じ空間に立ってみて初めて実感できるものでした。車を降りてしばらく歩いた場所では、海岸線から1.5km以上ほとんど何も残っていないような、あまりに惨い光景でした。
Google Earthで「表示>過去のイメージ」を使うと、場所によっては被災前の美しい光景を見ることができます。そして、震災後の被災地の様子は、かなり細かくその後の変化を見ることもできます。この記録は本当に貴重なものです。記録に残して公開しようと決意し実践したスタッフの「心」を思うと、何だか泣けてきます。
道路脇に時計が1つ。誰かが目立つところに置いてくれたように見えました。私は少しの間、時計を見つめたまま動けなくなってしまいました。
自分の仕事部屋でカチカチいっている古い時計と同じ型に思えてなりません。地震の時に止まってしまった、あの時計です。日付もおそらく時刻も、波に流されているうちにずれてしまったのでしょう。この時計を使っている私にはよくわかりますが、日付と曜日の表示は、簡単に動いてしまいますし、時刻だってそうです。たぶん地震があるまでの50年間、正確に時を刻みながら、家族の成長を見守ってきたことでしょう。横たわる姿は本当に悲しそうでした。
ヒヌマイトトンボの生息地を訪ねて来たつもりでしたが、この時計を見ることも、はじめから予定に組み込まれていたかのような、何とも不思議な気持ちになりました。
これはある橋の上で見た光景です。金属の手すりがものすごい力ではぎ取られて行った様子が見えます。水の力とは、これほどまで凶暴になれるものなのかと啞然としてしまいました。
1cm以上太さがあるボルトに、ナットが残っていました。欄干の基部を、津波は強引に引きちぎっていったのです。
こんな様子を見るとまた、川岸に根づいたアシが津波に流されずに新しい芽を吹いている事が、いかに驚異的かがわかります。
家は確かにそこにあったのです。
土台だけがかろうじて残っているものの、上は全て引きはがされて、波にもまれて砕かれ運ばれて行った様子が目に浮かびます。
家を囲っていたスギの木も、乱暴に折り取られてしまいました。写真の1本はまだ形が残っていますが、幹の一部が繊維状にしか残っていないような木もたくさんあります。
狭い範囲を少しだけ見てまわりましたが、あまりに酷い状況でした。
また、最初はわからなかったのですが、次第に、かなり片付けが進んでいる様子も見えてきました。道路・水路は整理されて、電線工事も徐々に進んでいます。それでも、一見すると気がつかないくらいなのです。
この震災の復興は大変な作業量です。こうして見てまわってよくわかりました。そして自分も災害ボランティアに参加して、決して邪魔にならないだろうと自信を持ちました。
所々に見える、植物たちの息吹は、私の目にも何と美しいことかと思いました。被災された方々を勇気づけて欲しいと思います。
サクラは折られても咲いているものがありましたし、庭先のラッパスイセンは、ニュースでも報じられているように、いたるところで咲いていました。ケヤキやエノキは若葉が芽吹いてきていました。フジもクズも津波にも抜き取れず残っていました。これから大地を少しずつ緑が覆っていくと思います。片付けの邪魔にならないか、心配でさえあります。
それと賑やかな鳥の声もありました。スズメにセキレイ、キジ、トビなどなど。奥の方の高台の林では、私は普段聞くことのない、コジュケイとガビチョウの声が響いておりました。
朝7時には被災地を離れ、山形に戻る道に入りました。自宅に戻ってすぐに、連休中は受け入れ体勢を一旦ストップするようなニュースを見て一瞬へこみましたが、連休明けにはどこかの片付け活動に参加したいと思っています。